神社開運協会 代表 白鳥詩子公式サイト

千束八幡神社と洗足池辨財天(東京都大田区)

千束八幡神社

 

 

由緒

當社は千束八幡神社と稱し、平安前期の貞観二年豊前国宇佐八幡を勧請し
往時の千束郷の總鎮守としてこの巒上に創建せられ、今日に至る。
遠く千百余年の昔より、この地の氏神として尊崇せられ、普く神徳を授けてこらる。

承平五年、平将門の乱が起る。
朝廷より鎮守副将軍として藤原忠方が派遣せられたり。

乱後忠方は池畔に館を構え、八幡宮を吾が氏神として篤く祀りき、
館が池の上手に当たるに依りて池上氏を呼稱、
この九代目の子孫が日蓮を身延から招請す、之池上康光なり。

又八幡太郎義家奥羽征討の砌、この池にて禊を修し、社前に額つき戦勝祈願をなし出陣せりと伝える。
源頼朝も亦鎌倉に上る途次、この地を過ぐるに八幡宮なるを知り、大いに喜び此処に征平の旗幟を建つる哉、
近郷より将兵集まりて、鎌倉に入る事を得、旗挙げ八幡の稱あり。
名馬池月を得たるも此処に宿舎の折なりとの傳承あり。

尚境内に武蔵国随一と云われし大松ありしが、大正十三年惜しくも枯衰し今はその雄姿を見るすべもなし。
古歌の『日が暮れて足もと暗き帰るさに霊に映れる千束の松』と詠まれて居り、老松の偉容が想像されよう。
斬の如く當八幡神社は城南屈指の古社にて亦名社なり。(境内の掲示より)

 

 

ご祭神

応神天皇(品陀和気命)

住所
東京都大田区南千束2-23-10
最寄駅
東急 洗足池駅より徒歩5分

 

▽洗足池

 

 

 

神紋
左三つ巴
 

 

 

源頼朝の料馬「池月」伝説発祥の地

池月とは「宇治川先陣物語」にある名馬の名である。
1180年、源頼朝、相州石橋山の合戦に破れて安房に逃れ、この地の豪族、千葉常胤(つねたね)、
上総介広常、等の参向を得、再挙して鎌倉に向かふの途次、ここ千束郷の大池に宿営し、
八幡丸の丘を本陣として近隣諸豪の参陣を待つ。

折からの皓月池水に映るを賞でつる折ふし、何處方よりか一頭の野馬、
頼朝の陣所に向かって飛来り嘶き声、天地をふるはすばかりであった。

郎党之を捕へて頼朝に献ずるに馬体あくまで逞しく、青き毛並みに白き斑点を浮かべ
恰も池に映る月影の如くであった為、之を池月と命名して自らの料馬とする。

頼朝先に磨墨(するすみ)を得、今またここに池月を得たるは、之れ征平の軍すでになるの吉兆として
勇気百倍し来れりと云ふ。士卒之を伝へて征旗を高く掲げ、歎声やまざりしとか。

当八幡宮の別名を「旗上げ八幡」と称するは、この故事による。1184年、頼朝木曽義仲を京師に攻む。
義仲宇治、瀬田の両端を徹し、河中に乱杭逆茂木を設けて寄手の渡を阻まんとす。

この時、鎌倉出陣に際し、各々頼朝に乞ふて賜りたる名馬二頭の中、梶原景季(かげすえ))は磨墨に、
佐々木高綱は池月に打ちまたがり、共に先陣を争った。史書に云ふ宇治川先陣争いである。

池月一代の晴れの場所で、この一番乗りの功名が今に至るまで、名馬の誉れを伝へている。
池月の誕生地が当八幡であって、即ち池月発祥伝説の起こりである。

古くより里人の間に語り継がれ、大井町線の駅名に(今の北千束駅)、
また、町会名にもなっていたが、今はない。

遠き治承の昔より光芒すでに八百秋、時代の変遷と共にこの伝説の忘失を惜しみ誌して後世に伝へんとする。

尚、磨墨を葬せし磨墨塚は、南馬込に現存する。
氏子青年有志による池月太鼓は、即ち、この伝説を太鼓に託したものであり、
毎年9月の祭日に奉納されている。

池月の 蹄(ひづめ)の音か 揆(ばち)の冴え

 

 

洗足池辨財天 


 

由緒沿革

創建の年代は、不祥なれど、古来より洗足池の守護神として、池の北端の小島に祀られていたが、
長い年月の池中に没してしまっていた。その昭和の初め頃より、
数多の人々の夢枕に辨財天が出現せられ、
この事が契機となって御社殿建立の話が具体化し、多くの人々の尽力によって、
昭和9年7月、洗足風到協会の手により築島遷宮の運びとなり、
以来今日に至る間、多くの参拝者に、右御神徳を授けられている。

 

 

 

神社お写真

▽池月橋(洗足池公園内、千束八幡神社の向い)

 

 

▽千束八幡神社

 

 

▽社殿

 

 

▽社殿の左手に奉納された池月の巨大絵馬

 

 

▽池月の像

 

 

▽手水舎

 

 

▽境内社(神明宮)

 

 

▽稲荷社

 

 

▽狛犬

 

 

▽絵馬

 

 

▽おみくじ納め所

 

 

▽参集殿(左)、社務所(右)

 

 

▽厄除開運祈祷案内

 

 

▽洗足池のほとりを歩いて「洗足池辨財天」へ

 

 

▽洗足池辨財天

 

 

参拝後の感想

洗足池公園が想像以上に「気」が良くて感動しました。
江戸時代には、「景色もっとも勝れたり」と描かれたようで、
その美くしい景色は現在にも色濃く残っている。

また、洗足池公園内には、遺跡・史跡が多く、
かつて、池のほとりには、
勝海舟が晩年を過ごした邸宅「千束軒」が存在している。

また、勝海舟ご夫婦の墓所の隣には、
「西郷隆盛留魂碑」が鎮座している。

池の周囲にはベンチも多く、休日を過ごす家族連れにも最高のロケーションであり、
史跡好き・神社好きにも魅力ある場所だと思いました。

 

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