創立年代は不詳であるが、往古より武蔵国橘樹郡たちばなぐん)矢上村総鎮守として、
岡村北方の俚俗(りぞく)「お伊勢原」と呼ぶ丘上に鎮まり坐し「神明社」と称した。
旧社殿は天明五年(1758)の修造と伝える。
昭和十一年、氏子崇敬者の熱誠を集めて神明造りの本殿・幣殿・拝殿を改築、
同十四年この地が横浜市域に編入せられたのを機として新町名に因み、社号を「日吉神社」と改めた。
昭和二十八年十月七日、宗教法人となり神社本庁に所属、
同五十一年、更に社殿を修復して、伊勢神宮の御分霊を勧請奉斎し、社務所を完備して神域を整え、
同五十三年には神殿屋根を総銅板葺に改修し、灼然たる神威を加えて現在に至っている。
毎年元日の午前零時には、除夜祭に引続いて元旦祭を執行、
遠近より初詣の衆庶近年頓に多く、宏大なる御恩頼に浴している。(境内の掲示より)
天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)
*伊勢神宮より勧請
花菱(伊勢神宮御神紋に同じ)
社郷額壱面(明治神宮 宮司 伊達巽書)
矢上天神社(日吉の天神さま)
御祭神、菅原道真公は854年、父・菅原是善、母・伴(とも)氏の子として、
奈良時代以来の学問を教授する家に生まれ、幼少より厳格な教育を受け、
幾多の宮暦を経て累進を続け、899年、右大臣兼右大将に至り、
左大臣・藤原時平に対峙する勢力となり、これを懼(おそ)れた時平と、
その派閥の讒言(ざんげん)により、2年後の901年1月25日、
大宰権帥(たさのごんのそち)に左遷され、さらに2年後の903年2月25日、
失意の内に大宰府で薨(こう)しました。
菅原道真公は冤罪をこうむって苦しむ人々や正直な人を守護するという
慈悲の神に、又、起請野上、和歌の神、書道の神、文芸文学の神、として
崇敬されています。
当、日吉神社では、菅原道真公が903年に大宰府にて薨し、
2002年が御神忌(ごしんき)1100年に当り、菅公を偲び奉らんと
矢上天神社を創建し、大宰府天満宮より御分霊を勧請奉斎し、ました。
曰、矢上天神社は、学業成就、入試合格の御神徳のある神さまとして、
崇敬されています。
東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ
菅公が大宰府に左遷された時の絶唱として、今でも人々の涙を誘い続けている。
矢上天神社の入り口には、和歌にも出てくる、道真公が愛でられた梅の木が植えられており、
日吉神社さんの道真公への思いを感じました。
▽梅の実がたくさんなっていました。
▽境内に落ちていた梅を拾って撮ってみました
絵馬
▽案内と碑
▽左の細い道を歩いていく
▽鳥居からの階段は少しハードだけど、、、
▽登りきると「氣」の良い境内が眼前に広がり感動
▽社殿
▽境内は緑が多く、とにかく「氣」が良い
▽狛犬が揃って、天を見ているようで、珍しい
神主さんが、とっても親切で、色々とお話を伺いましたが、
とても丁寧に対応して下さいマリ、ありがたかったです。
境内は広くはありませんが、隅々まで綺麗に掃除されており、
とにかく優しく、穏やかで、明るく、爽やかな氣の良い神社さんでした。
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